寛永度天守は1638年(寛永15年)に江戸城建設工事の総仕上げとして造られましたが、1657年(明暦3年)に起きた明暦の大火で焼失し、江戸市街の大部分も焼けてしまいました。この火事では、総人口50万人のうち10万人が亡くなったとも言われています。