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江戸城再建Q&A

【Q&A 1】江戸城とは

  • 11世紀に秩父平氏一族の江戸氏が館を建てたのが始まりといいます。その後1457年に太田道灌が本格的なお城にしました。

  • 太田道灌は主君に暗殺され、その後江戸城には関東管領上杉氏の一族が入りますが、後北条氏に攻め取られます。小田原の後北条氏が1590年に豊臣秀吉に滅ぼされると、駿河の駿府城から徳川家康がやってきます。

  • 徳川家康が入った江戸城は、太田道灌以来の江戸城の場所だったと思われます。現在の皇居東御苑の本丸あたりです。家康が天下を取ってから江戸城は大拡張工事を行い、現在の皇居だけではなく、千代田区と中央区のほぼ全域が江戸城と云っても過言ではありません。

  • 天守や大奥、将軍の御殿があった本丸が中心で、その東にお世継ぎなどが住んだ二の丸、さらにその東に三の丸がありました。今は大部分が皇居東御苑という公園で、入場無料です(月・金休み)。本丸の西にご隠居の大御所が住んだ西の丸、吹上があり、今は西の丸には宮内庁と宮殿、吹上には天皇陛下のお住まいがあります。西の丸の前には西の丸下、現在の皇居前広場があります。ここまでが内堀で囲まれた内郭です。その外側に惣構えの外堀があります。

  • 城下町や家臣の屋敷なども含めたお城の一番外側の防衛線です。ここから中がお城です。江戸城では神田川、四谷、赤坂見附、虎ノ門、新橋を結ぶ線で、戦後までここには延々と外堀が続いていました。江戸城の東は隅田川で、江戸時代の初期には橋は架けられていませんでした。

  • ありました。徳川家康が造った慶長度天守、それを壊して2代将軍秀忠が造った元和度天守、さらにそれを壊して3代将軍家光が造った寛永度天守の3つの天守が造られました。これらの天守は、江戸時代260年のうち、最初の50年間、江戸の空に聳(そび)えていました。

  • 寛永15年(1638年)に徳川家光公がつくった「寛永度の天守」は、設計図の基とも言える1枚の「建地割図」がいまも遺されています。それによると、寛永度天守の高さは45メートル、天守台の高さは14メートルですから、合わせて59メートル、ほぼ20階建てのビルに相当する巨大なものでした。豊臣秀吉の大阪城天守は30メートルほど、現存する姫路城天守が31メートルほどの高さですし、天守の面積を比較してもから、寛永度天守は、姫路城の約2倍、体積は約3倍という、高さも広さも、他の城と比べて、まさに圧倒的な大きさでした。木造建築でこれ以上の高さの天守は不可能とも言われています。このように、江戸城寛永度天守は、日本の城郭建築の最高到達点であると同時に、日本で最も壮大で美しい・・と言われる、この江戸城寛永度天守は、城・・というより、時代を画した江戸芸術文化の全作品の中でも、ヴィンテージ(最高傑作)のひとつだったと言われています。

  • 寛永度天守は1638年(寛永15年)に江戸城建設工事の総仕上げとして造られましたが、1657年(明暦3年)に起きた明暦の大火で焼失し、江戸市街の大部分も焼けてしまいました。この火事では、総人口50万人のうち10万人が亡くなったとも言われています。

  • 焼失後すぐに再建に取りかかり、天守台の石垣は加賀藩前田家の寄進によって造られました。その台座がいまも残されています。しかし天守の再建は当時の将軍後見役で、家光の異母弟、会津藩主の保科正之が「被災した人たちの救済と江戸の街の再建が先であろう。いまは、天守再建の時にあらず。」と宣言して、築城工事が見送られました。保科正之の判断の中には、すでに戦国の世は遠く、もはや天守によって幕府が天下を威嚇する時代ではないとの考えがあったと言われています。

  • いいえ、あちこちに残っています。まず内郭の石垣は殆どが江戸時代のままです。櫓は三重の富士見櫓、二重の伏見櫓と巽櫓が残っています。いずれも小さなお城の天守ほどの大きさがあります。門は田安門、清水門、桜田門が江戸時代のままで国の重要文化財に指定されています。ほかにも平河門、桔梗門(内桜田門)、坂下門、大手門、半蔵門などは門の建物が全部または一部残っています。石垣だけであれば赤坂見附門、四谷門、牛込門など外堀の門でも一部が残り、その他建物や土塁、石垣は多数残って今でも目にすることができます。

【Q&A 2】江戸城再建運動とは?

  • 私たちは、江戸城寛永度の天守を再建することを目標にしています。

  • いいえ、まだ再建が決まった訳ではありません。江戸城再建には国民的な世論の盛り上がりが必要と思います。私たちは、日本全体で「世界に類を見ない、この国の歴史と伝統、文化のシンボルとして、江戸城寛永度天守を再建しよう」という気運が盛り上がり、国民的なコンセンサスが出来上がっていけば、必ずや再建の夢を実現出来ると信じて、再建運動を進めています。

  • かつて江戸城寛永度天守があった皇居東御苑の北端に、明暦の大火で焼失したあと、加賀藩によって修復された台座だけは、いまも遺されています。その場所に、国民的な世論と支持をバックに、関係各省庁の許可を得た上で、私たちは、江戸城天守の再建を実現したい、と願っています。

  • いま、皇居東御苑は、週に5日、一般に開放されています。従って、皇居東御苑には、当然のことながら、日本人は勿論、沢山の外国人が訪れています。特に、台座を見た殆どすべての外国人は、「どうして、ここに【タワー(天守)】がないのか?」と聞かれ、私たちが「その江戸城天守の再建運動をしています。」と答えると、「そうか、頑張って・・!」と励まされることが、しばしばです。

  • もちろん一部の人々の考えや一民間団体の運動だけで再建が出来るとは考えておりません。しかし、この日本一、壮大で美しい「お城」の再建は、この国の歴史的遺産を、正しく後世に継承しようとする運動です。従って、もしその「お城」の再建が実現すれば、それは、魅力と活力のある首都東京のシンボルになるだけでなく、まさに、日本を代表する「この国の宝」になることでしょう。従って、もしこのお城の再建が実現すれば、それは「魅力ある国づくり・日本」のシンボルとして、世界中から大きな注目を集める存在になる・・と確信しています。そういう意味で、国民世論の大勢が固まれば、かつての天守があったその場所に、再建をすることについて、各省庁の許認可を得ることが不可能とは云えない・・のではないでしょうか。

    もうひとつ、「皇居を見下ろすことにならないか」とのご指摘もありますが、まず再建天守の上に人が登れるように造れるのか、否か、つまり、再建の詳細設計図は、まだ決まっていません。しかし、もともと江戸時代も将軍の住む大奥がある南側と、引退された将軍やご一族が住まれた(現在の皇居がある)西の丸を見下ろす西側は、1階から5階まで、すべての窓が閉められており、その伝統に則るなら、当然、現在の天守台の西側にある天皇陛下お住まいの御所や宮殿を見下ろすことにはなりません。

  • 再建を目指す天守は5層6階、高さ45メートルもの建物です。現在の建築基準法では木造建築は3階建てまででしか認められていませんから、特別な許可を受けなければなりません。また現在残っている天守台も江戸時代から残る文化財です。明暦の大火の遺物も残っているかもしれません。再建前には発掘調査が必要でしょうし、台座そのものが【手を触れることが出来ない】歴史的文化財ですから、その上に天守を再建するとなると、当然、特別の許可が必要になると思われます。

  • 寛永度天守をつくった当時の棟梁が残した1枚の図面「建地割図」があります。この図があれば当時のままに再建することが可能です。現に、城郭復元建築研究の第一人者である広島大学大学院の三浦正幸教授が、建地割図を元に精巧な12枚の復元図を完成させました。そこから復元CGを作成したのがこの写真です。

    復元CG

  • いいえ。建設当時と同じ「木造」で、伝統的な木造構法によって、外観5階、内部穴倉(地階)1階、石垣上5階の計6階(地上5階地下1階)の天守を再建したいと考えています。

  • 確かに、鉄筋コンクリートによる天守再建がブームだった昭和年代には、鉄筋コンクリートづくりが半永久的に長持ちする・・と云われていました。しかし、実際には、天守の鉄骨を包み込んだコンクリートの柱の中に雨水が沁み込んで、鉄筋が腐り始めていることが判り、その為、昨今は、鉄筋コンクリート製の耐用年数は、せいぜい40~50年程度と云われています。その意味では、全国の鉄筋コンクリートづくりのお城は、耐震強度の問題で、木造による再建が現に進行中か、何れは、木造で再建しようと検討しているところが大勢になりつつあると言われています。その点、木造建築は、耐震、免震性に優れていることが一般的に理解されつつあり、火事にさえ注意すれば500年から1000年は持つと言われています。現に江戸時代初期に建てられた天守が、日本には12も遺されています。戦争さえなければもっと多くの天守が残っていたことでしょう。そういう意味で、今後5年~10年後には、鉄筋コンクリートのお城を木造で再建しよう・・という「木造天守再建大ブーム」が起きると予想されています。(広島大学大学院・三浦正幸名誉教授談)

  • まだきちんと調査したわけではありませんが、天守再建に必要な直径50センチ以上のヒノキの大経材は、日本の国有林で調達できると言われています。また工事にあたる宮大工は、全国に200人くらいはいますが、その人達は仕事がないので困っている・・と聞いています。もし江戸城天守が再建されるとなれば、全国から、宮大工の皆さんが馳せ参じるでしょう。そうした宮大工の人たちの伝統的な技術を後世に伝承するという意味でも、私たちが進めている「江戸城天守再建」の運動は、魅力と活力に溢れた新しい国づくりに、貢献するが出来る、と考えます。

  • 利用する木材が何か、節なしか節があっても良いかなど、材質や工法、工事の進め方等でかなり違うため、まだ公表できる段階ではありませんが、数百億円のレベルだと思われます。ちなみに現東京都庁の建設費は1600億円でした。

【Q&A 3】なぜ江戸城再建なのか?

  • 世界の主要国の首都には、必ず、その国の文化と伝統を象徴するモニュメントがあります。パリの凱旋門、ロンドンのタワー橋、ローマのコロッセオ、ベルリンのブランデンブルク門、モスクワのクレムリン宮殿、北京の紫禁城、首都ではありませんがニューヨークの自由の女神などです。では東京はどうでしょう?スカイツリーですか?スカイツリーも素晴らしい建物ですが、日本の伝統や文化の歴史的遺産として、世界に誇れるものでしょうか?いまの東京には世界にアピール出来るこうしたモニュメントがない・・いえ、あったのですが、なくなってしまった・・それが、江戸城寛永度天守だと私たちは信じています。江戸城寛永度天守が再建されれば、必ずや、それは、日本にしかない、日本の歴史と伝統、文化を代表するシンボルになることでしょう。

  • 日本はすでに人口減少社会になっています。そんな中でも国の勢いを失わず活力のある社会を維持するには、この国の魅力と活力を生み出す、新しい都市計画構想とその為に、誰かが行動を起こすアクションが必要です。中でも観光振興は、新生日本、再生日本の新しい国づくりに向けた、最も有望な選択肢のひとつではないでしょうか。首都東京に魅力的なモニュメントがあれば、世界中の人々が東京を目指して訪日してくれるでしょう。そうした観光立国の為の投資と考えれば、十分な価値がある筈です。木造建築であれば500年から1000年は持つと云われていますから、数百億円の投資をしても1年あたりに換算すれば僅かな金額です。維持費などを考えても、これは、必ずや日本の将来の為に、大きな意義のある投資になると考えます。

  • 我々が再建を考えている場所は皇居東御苑内の江戸時代に天守があった場所です。周囲は皇居や北の丸公園などに囲まれ、大変見通しがよく、当然ながら東京のど真ん中です。都内各地の高層ホテルなどから必ずその姿を見ることができます。 再建する天守の中に入れるのか、1階から5階まで登れるようにするのか、それは今後の検討課題ですが、世界から東京を訪れた観光客やビジネスマンが遠くから見るだけでも「あれがショーグンのキャッスルか!」と感銘を受けるのは間違いないと思います。江戸城天守によって、都市東京の魅力は、必ずや「新しい日本の魅力として」世界に発信されることでしょう。

  • 京都や奈良の寺社などは世界遺産で、日本の重要な観光資源です。他にも全国各地の温泉や、屋久島、知床など世界遺産クラスの自然など、日本は観光資源にはこと欠きません。そうした場所で観光受け入れ態勢を充実させることは、大変重要なことです。しかし日本は観光振興という意味では大きな問題点を抱えています。それは首都東京に大きな観光の目玉がないことです。主要各国の首都のモニュメントは、それ自体が大きな観光資源になっています。凱旋門や紫禁城や自由の女神は、ビジネス客でも気軽にすぐ訪れることができます。しかし東京では、富士山や箱根や鎌倉、日光もかなり距離があります。訪日外国人で、東京だけを見て、そのまま帰国する人がおよそ60%と云われていますが、その外国人が東京滞在中に訪れるのが、浅草、築地市場、秋葉原・・だけでは、いささか淋しいのではないでしょうか。もし首都東京に江戸城天守があれば、東京の魅力はまさに飛躍的に上がり、世界の注目を集めることは、疑いの余地がない・・と言って良いのではないでしょうか。

  • 外国人観光客が沢山日本に来てくださるのは重要なことですが、江戸城再建の意義は勿論それだけではありません。全国の都道府県庁所在地の多くは、かつての城下町でした。その殆どの街でお城、取分け天守の再建が行われ、あるいは再建が進行中です。山形、仙台、名古屋、大阪、広島、熊本、那覇などは、お城が最も重要な観光資源になっています。事実、大阪を訪れる外国人の大半は大阪城を訪れるとも言われています。しかし全国でこうしたお城の再建が進むのは観光目的だけではありません。「郷土の誇り」「郷土愛のシンボル」だからこそ、お城の再建、天守の再建が進められているのです。子どもの頃からお城を見て、ここが私の古里だとの気持ちを育んでいるのです。お城づくりそのこと自体が、地方のアイデンティティづくりの象徴と言って良い、とても大きな目的なのです。古くからの城や天守がある町の出身者に聞いてみてください。多くの人が誇らしげに語ってくれるでしょう。江戸は城下町の中の城下町、日本の総城下町でした。つまり江戸城はただ東京に住む人たちだけのシンボルではなく、日本全体のシンボル、心の拠り処になり得るのです。海外から日本に帰ってきたとき、江戸城を見て「ああ日本に帰ってきた」と思えるような、そんな存在になり得るのです。日本人が心を一つにする象徴・シンボルをつくるというのは、そういう意味でも大変重要なことだと思っております。

  • 先に述べたように、私たちは、新しい魅力ある首都東京のまちづくり、という観点から云えば、天守の再建だけを考えているわけではありません。天守に続いて大奥や本丸御殿が再建できれば、それは素晴らしいことだと思います。確かに、大広間と大奥、それをつなぐ松の廊下など、本丸御殿が再現されて、それが、天守台の上に輝く天守閣と共に夜のとばりの中でライトアップされたら、それは、まさに、江戸時代のドラマを再現する歴史の舞台になり、他に類を見ない程の、最高の市民の憩いの場になることでしょう。しかし、そうした書院造りの建物をつくることを目指しつつも、江戸城を再建する以上、その前に、何と言っても、江戸城のシンボルともいうべき「寛永度天守」の再建こそが、最初にして、最大のテーマになるのではないでしょうか。

  • 首都東京に必要なのは伝統と文化に根ざしたモニュメント、象徴です。皇居の東御苑で、場所が場所だけに、遠慮をして、お台場につくれば良いではないか・・ということになれば、それは「お台場城」であって、「江戸城天守」とは云えないのではないでしょうか。やはり、元あった場所に復元してこそ、日本の宝と云えるのではないでしょうか。

  • それは、国民世論次第だと思います。一人でも多くの方々から、賛同とご支持、ご支援を頂ければ、夢実現への道は、必ず、必ず拓かれると思います。どうぞ、ご協力の程、よろしくお願い致します。

  • いいえ。江戸城天守は、「天下布武」の戦国時代が終わって、「元和偃武」の時代になった。(げんなえんぶ:元和1年に大坂城が落城したのを境に、もはや、戦乱の時代は終わった・・という含意。)つまり、時代が戦争から平和に大きく転換した、江戸城寛永度天守は、その平和の時代の象徴として造られた・・というものです。ですから、この「江戸城寛永度天守」には、他の天守のような「鉄砲狭間」や「石落とし」などの戦闘用の施設は、全くつくられておりません。江戸城天守はその偉容を天下に示し、戦争の時代は終わった・・と告げる平和のシンボル・タワーでもあったのです。屋根は銅板で拭かれ、壁は防火塗料で黒く塗られており、大変美しいものでした。その姿は、当会ホームページのCGをご覧下さい。

【Q&A 4】「江戸城天守を再建する会」とは?

  • 一切の政治的、資金的、思想・宗教的バックを持たず、純粋な一民間団体としてスタートしました。平成18年のNPO法人設立以来今日まで、営々として組織の基礎固めを積み重ねて来た結果、後述するように、平成23年に税制上の特別優遇措置を得られる数少ない認定NPO法人の資格を得るなどの道のりを経て、お蔭様で、最近は漸く、政官財、各界から注目される存在になりつつあると自負しております。今後、私たちは、更なる組織の基礎固めを行い、私たちの考えを単に世間にアピールするだけでなく、政官財、各界、各層に働き掛けて、その人達との連携、ネットワークを図りつつ、公益財団法人を目指す新事業主体を設立し、夢実現に向けて大きな一歩を踏み出したい・・と考えております。

  • 理事長は島田昌幸です。元日本経済新聞社常務取締役、現テレビ東京相談役です。会長は太田資暁です。太田道灌の第18代子孫に当たる方です。

  • 理事会は、19名の理事と3名の監事で構成されています。理事には様々な経歴の持ち主、例えば、企業、団体の役員を勤められた方など多彩ですが、主に第一線を退いて、この運動に取り組んでいらっしゃる方が多くなっています。役員名簿や会の活動については会のホームページをご覧下さい。役員一覧はコチラ

  • 平成18年のNPO法人の設立以来、令和5年7月末日現在で、会員総数は1229名に達しています。会員は、日本全国に拡がっていますが、やはり東京都内やその周辺、特に千代田区や日本橋などに古くから住んでいて、江戸城天守がないことを、淋しい、残念だと思っている方が多いようです。お城ファン、歴史ファンだけではなく、日本や東京の活性化という面で関心を持たれている方も数多くおられます。

  • 特に条件はありません。会の趣旨に賛同していただければどなたでも会員になれます。会員には、正会員(年会費1万円)から、賛助会員(年会費3千円)や法人会員などの種類があります。入会希望の方はここをクリックしてください。

  • 江戸城再建に向けた各界、各層へのアピール、PR活動。再建の為の署名運動、再建の為の資料収集や研究などが活動の中心です。今後は再建を具体化させる運動にも積極的に取り組んでいく計画です。

  • 千代田区西神田2丁目にあります。

【Q&A 5】具体的に、どんな活動をしているのですか?

  • できるだけ多くの方に会員になっていただきご賛同いただくために、さまざまな活動をしています。江戸城再建請願署名のお願い、江戸城再建を目指す趣旨を説明したチラシの配布、江戸城や江戸文化にまつわる各種勉強会や講座の企画、講演、江戸街歩きのイベントなどを行っています。会員には、「江戸城かわら版」を年に4回発行、配布しています。また、ホームページも順次充実を目指しています。

  • やっています。https://www.facebook.com/npoedojo です。

  • 不定期ですがホームページでご案内しています。神保町カレーグランプリ、古本まつり、お城EXPOなどでのイベントを中心に行っています。

    Web署名も受け付けています。こちらからお願いします。

    https://npo-edojo.org/signature

     

  • 2023年8月末累計で5100人、目標は10万人です。

  • 今後3万から5万、そして10万人へと増やしていきたいと思いますが、もちろんより多いに越したことはありません。それができれば、関係諸機関への強いアピールになるだけでなく、世論を動かす大きな原動力になると考えています。

  • はい。何のバックもない純粋な市民活動ですので、資金には苦労しています。現状は活動資金として寄付をお願いしています。ホームページ上では、ジャスト・ギビングでみなさんが自由に寄付募金を行っています。ボタンをクリックしてみてください。是非、一度お試しください。また、FAXでもお受けしています。将来的には再建資金の募金活動も国民運動として開始できればと思っています。

  • 活動資金と同様、会の活動を支えるスタッフとして重要な役割を担っています。さまざまな仕事がありますので、ぜひ事務局までお申し出ください。

  • 入会申込書、会の概要説明パンフを用意しています。事務局までお申し付けください。必要部数をお送りします。ホームページでも受付中です。