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Q&A 1-7. 寛永度の天守は、どんな天守だったのですか?

寛永15年(1638年)に徳川家光公がつくった「寛永度の天守」は、設計図の基とも言える1枚の「建地割図」がいまも遺されています。それによると、寛永度天守の高さは45メートル、天守台の高さは14メートルですから、合わせて59メートル、ほぼ20階建てのビルに相当する巨大なものでした。豊臣秀吉の大阪城天守は30メートルほど、現存する姫路城天守が31メートルほどの高さですし、天守の面積を比較してもから、寛永度天守は、姫路城の約2倍、体積は約3倍という、高さも広さも、他の城と比べて、まさに圧倒的な大きさでした。木造建築でこれ以上の高さの天守は不可能とも言われています。このように、江戸城寛永度天守は、日本の城郭建築の最高到達点であると同時に、日本で最も壮大で美しい・・と言われる、この江戸城寛永度天守は、城・・というより、時代を画した江戸芸術文化の全作品の中でも、ヴィンテージ(最高傑作)のひとつだったと言われています。