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お城巡りツアー リモート式 大多喜城編第2弾(その1)実行日:2020年10月24日

◇コロナ中の名城巡りツアーの代替案として、リモート式を始めて既に次の「小田原城編」がネットに乗りました。遅まきながら大多喜城編の第2弾をお送りします。

 今回も千葉第6支部長の平出さんと一緒です。

◇大多喜城のエポックとして1609年(慶長14年)のサンフランシスコ号の遭難が最も有名な事件でしょう。このガレオン船には、スペイン人の前フィリピン総督以下373人が乗っておりましたが、9月30日折しも台風シーズンに台風銀座を航行していたこともあって、大多喜藩の海岸、今の夷隅郡御宿町岩和田の田尻浜付近で座礁し乗客乗員373人中、実に317人が救助されました。当時の岩和田の村落の人口は300人程度であったそうですから大変なご苦労があったことでしょう。


◇遭難者集団のリーダーは、フィリピン総督を辞したばかりの、スペイン人ロドリゴ・デ・ベビーロ(ドン・ロドリゴ)で、彼は救助された後、大多喜城主本田忠朝の加護と執成しを受け、将軍秀忠、大御所家康にも面会し、結局家康の寛大な支援を得て、ほぼ10カ月后、所期の目的地であるメキシコ(当時はヌエバ・エスパーニャ=新スペインと称された)へ船出することが出来ました。

 この間に日本に既に安住していた英国人三浦按針(ウイリアム・アダムス)に面談するなど情報収集に努め、スペイン国王と幕府との国交の仲立ちをするなど十分な働きを行いました。これらのことは、「ドン・ロドリゴの幸運」と言うタイトルで千葉県から出版されています。


◇この間の、徳川幕府と大多喜城、ロドリゴの経年的な関係を下記に示す年表として纏めて見ました。これによると、ロドリゴ一行は帰国前に江戸城天守を仰ぎ見ていると思いますが、その天守は、私共が再建を目指す寛永度天守ではなく、初代の家康の慶長度天守であります。

◇今回も千葉の大支部長江澤さんにご案内頂きましたが、ご友人のいすみ市商工会会長の出口さんにもお付き合い頂きました。


◇いすみ市大原町の「酒楽喜」(出口さんのお店です)の駐車場で落ち合い、「藤よし」で昼食。大変クオリティーの高い食事で、席待ちの人が外に並んでおりました。


◇今回の見聞行程は、ドン・ロドリゴの遭難事故の田尻海岸~~~この事故を奇禍として結ばれた日本-メキシコ-スペイン3国友好の記念碑~~~御宿町歴史民俗資料館~~~月の砂漠記念館~~~月の砂漠記念像~~~お万の方(勝浦城)史跡。

 盛り沢山の行程でした。長くなりますので、「月の砂漠」以降は次回(その2)に纏めたいと思います。

以上

理事 田中鐵二