H21.9.24 本物から多くを学んだ!(第8回江戸城再建セミナー報告「木造復元大洲城天守見学と龍馬脱藩の道探訪」)

 

 

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本物から多くを学んだ!

   8回江戸城再建セミナー報告「木造復元大洲城天守見学と龍馬脱藩の道探訪」

 

8回セミナー「木造復元大洲城天守見学と龍馬脱藩の道探訪」は、2009924日から25日の二日間、初めて東京を離れ、愛媛県大洲市で開催されました。東京からは13名の方が参加されました。会員のお1人は、日本の伝統文化をこよなく愛される日本在住の台湾の方でした。

二日間のセミナー終了後、参加者一同、復元された本物の木造天守、発見された本物の龍馬脱藩の道に触れ、その現場で、その復元と発見に大変なご苦労をされた方々のお話しを直接聞くことが出来て、感動し、且つ今後の江戸城再建運動を進める上で大変参考になったとの感想を述べられていました。

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                           このセミナーは2年越しのプロジェクトで、この間、セミナー開催に向け、大洲市役所、並びに地元の方々は親身になってご協力、ご助力くださいました。会と地元との調整には、会の正会員で大洲市の出身でもある田苗勉さんが精力的に行ってくれました。また、旅行企画・実施は近畿日本ツーリスト(株)に依頼いたしました。

 

大洲城は伊予の小京都・愛媛県大洲市にあります。この天守は、20047月、日本の伝統技術を駆使して木造で完全復元されました。44階、高さ19.15メートルで、復元木造天守としては日本一。この高さを木造で復元することは現在の建築基準法では認められないところ、地元の方々の凡そ20年にわたる熱意とご努力で同法の適用が除外され、復元資金も民間から多くが寄せられました。

一方、薩長同盟、大政奉還の立役者で日本回天に大きく貢献した坂本龍馬の脱藩の道は、あの司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」でも推測で簡単に触れられているだけです。それを、昭和61年、一枚の古文書との出会いが契機となって、当時、大洲市の一職員で、歴史、史跡発掘等には全くの素人である村上恒夫氏等が、その後、大変なご苦労と執念で発見されました。

 

今回のセミナー構成は以下の通りです。

①木造復元大洲城天守見学、

②大洲市での講演会:テーマ「大洲城天守復元の道のりに学ぶ」、

講師:
藏本和孝さま(大洲市役所建設農林部都市整備課主幹)、
井上 徹さま(大洲市教育委員会教育総務課課長補佐)、
菅野隆次さま(大洲市観光協会会長)、
河野達郎さま(株式会社おおず街なか再生館代表取締役専務)、
倉橋英太郎さま(当会アドヴァイザー、(株)倉橋英太郎建築設計事務所代表取締役)

③大洲城下町見学

④河辺町での講演会:テーマ「龍馬になれ」、
講師:村上恒夫さま(作家)
⑤龍馬脱藩の道探訪

⑥松山城見学

 

 

講演の概要は以下の通りで、詳細は後出の講演詳録をご覧ください。

 

1日目の講演会

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IMG_2633.jpg               &n bsp;                 会場は大洲城天守の中で、天守内の木の美しさ、木組に秘められた匠の技とその美しさを体感しながら、約4時間、講演と質疑応答が行われました。今後の会の運動に参考になると思われる点は以下の通りです。

 

1.建築基準法適用除外への苦難の道

この適用除外を受ける道のりは並大抵のものではなく、この適用除外は、城郭建築と歴史、建築構造、それらの知識・経験に基づく建築設計、という分野で日本の権威と認めれている学者と建築家の先生方の支援、協力なしでは考えられない。市の担当者としては何度も挫けそうになったが、その度にこれらの先生方に励まされた。諦めない、ということが肝要、と今改めて思っている。

適用除外を受けるために課された条件は以下の通り

(1)先ず、復元しようとする大洲城天守が建築基準法第313号が規定する「保存建築物」であると認定されること

(2)その上で、同法第314号の適用除外を受けて、保存建築物であったものの原型を再現するためは、以下の事項につき公的な機関での証明を行うこと

1.史実に忠実な復元とすること

2.防災上の安全性について検証すること

3.構造上の安全性について検証すること

江戸城再建の場合、大洲城以上に第2項の条件をクリアするのが大きな課題かもしれない

 

2.大量の木材調達

今回の復元工事で使用した木材量はで450㎥、これだけの量の木材を、納得のいく質と価格両面で調達するのに大変苦労した。この点でも、先生方の助言で大変助けられた。

 

3.木造による江戸城再建は地球環境保護のシンボルになり得る

木材重量の半分は二酸化炭素(CO2)で、木材を使用し、その分新たに植林すれば使用木材重量の半分に相当するCO2が固定でき、地球温暖化防止に貢献する。大洲城復元の木材使用量は450立米、225トンで、この半分の113トンのCO2がお城に固定されたことになる。江戸城が木造で再建されれば、その木材量は莫大であり、江戸城再建目的の一つに、「地球環境を守るグリーン革命のシンボル」が加えられ得る。

 

4.事業を行政が主導するのでなく市民、事業者、そして自治体の三位一体で頑張っていこうとの姿勢で推進

 

5.募金に対する市民の理解と賛同を得るために、多くの時間と労力を要した

 

6.お城の歴史そのものを地域の方がどれだけ理解しているか、これが地域の人とお城との距離感を決める最大のポイントではないか

 

7.本物ならではの質感と空間があって初めて人は感動するのではないか

イタリアに世界遺産に登録されているフェラーラという町がある。そこは現在も、15世紀から16世紀にかけつくられた9km以上の市壁に囲まれて、初期ルネサンス様式の装飾が施された宮殿・邸宅が多い。そこには心身ともにうるおいとやすらぎを得られるような空間があるから、現在でも多くの人が訪れている2007年の統計では、日本を訪れる外国人は830万人、あのイタリアは4370万人。東京はもとより、全国各地で日本の伝統・文化を活かした本物の空間作りが進めば、日本を訪れる外国の方々はもっと増えるのでは・・・。

 

 

2日目の講演会

 

20090925Seminar at Kawabe (33).jpg20090925Seminar at Kawabe (8).jpg                                 二日目の講演会は、小学校の校舎を改修した「ふるさとの宿」で行われました。作家の村上恒夫氏による講演テーマは「龍馬になれ」です。講演の前半では、坂本龍馬の生い立ちから最後までを、あたかもその場にいるが如く、立て板に水で生き生きと話されました。その後で、先生と先生の先輩のお二人がご苦労されて龍馬脱藩の道を発見した経緯を次のように語られました。

この発見のきっかけは、1枚の古文書でした。この古文書に出てくる土地を実地に調べていくうちに、この文書が、土佐脱藩藩士・沢村惣之丞が龍馬を実際に案内した脱藩ルートを記録していることが分かったのです。これは一大発見でした。

この間に集めた資料、写真は膨大なものでした。この新発見を世間に知らせるためにこれらの資料を学者に送って本を書いてもらおうかとも話しました。しかしながら、龍馬の道をじかに歩き、龍馬が脱藩した時に龍馬、惣之丞、那須俊平の三人が脱藩後の伊予路での第1夜を過したあの泉ケ峠を発見した時の足が震えるような感動を知る者が発表すべきだ、ということで意見が一致しました。私に書け、ということになりましたが、お金も、時間も、能力もない私は書けない。私は悩み、泉ケ峠に2日間居座りました。その時、「130数年前、坂本龍馬は今自分が立っているここを通って脱藩し、5年の間に日本の封建制をひっくり返した。龍馬にそれが出来た。たった400枚の原稿位お前に書けないわけがない、やってみい、おまえ龍馬になれ」という気になりました。それから私は変わりました。猛勉強もしました。テレビ見るのをやめましたら時間はたっぷりありました。2年間かけて400枚の原稿を書きました。出版されましたら、大反響でした。

龍馬脱藩の道が発見されたことで私の人生もこの河辺町も変わりました。河辺町には大勢の方が来られるようになりました。

 

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<講演詳録>

 

1日目 於 大洲城天守内

 

藏本和孝さま(大洲市役所建設農林部都市整備課主幹)20090924OZUcastle2 (16).jpg

(復元天守の歴史)

今回復元した大洲城の築城時期は特定する資料が残されておらず、推測の域を出ませんが、慶長14年(1609年)頃ではないかとみている研究者もおり、このころ44階の天守を中心として本格的な近世城郭に整備されたのではないかと考えられています。明治に入り次第に城郭が取りのけられ、明治21年(1888)に天守も壊されましたが、天守台には2つの櫓(やぐら)が昭和32年に国の重要文化財に指定、保存されてきました。今回の事業は,44階の天守を復元し、現存するこの2つの櫓を平屋の多聞櫓で接続する工事です。

 

(復元天守事例と建築基準法)

平成3年に福島県白河市33階の小峰城、平成5年に静岡県掛川市34階の掛川城、平成7年に宮城県白石市3 3階の白石城の復元事例で示されたように、城郭は博物館に準ずるという当時の建設省の見解から、復元天守は建築基準法に抵触する項目(大規模の建造物の主要構造部、耐火要求、内装制限、排煙設備、階段の構造等々)ばかりで、本来は木造での復元はできない話になります。ちなみに、小峰城は工作物(法上は博物館と異なり人が入らないという前提の建造物)での復元、掛川城は34階部分が建築面積の1/8であることから3階・4階部分を物見塔(人が常時上がることが出来る場合、物見塔適用範囲が限定され、この手法を現在用いることは難しい)とし、木造2階建てとして建築基準法の枠内で復元しています。

平成610月に「大洲城天守閣再建検討委員会」が発足し、建築史学者・工学博士の(故)宮上茂隆氏から史実に基づいた木造による復元が可能であるとの報告から、市制施行50周年である平成16年の復元完成を目指し、事業がスタートしました。私たちが目指す復元天守は、軒高は16m、高さは19m(戦後の木造復元天守では最高)で44階建て(戦後初)を史実に忠実に伝統工法に基づき木造で復元し、完成後は天守4階まで入場観覧することができること、というものでした。

 

(建築基準法適用除外への苦難の道)

お城は、熊本城などの例に見られますように、国指定史跡の中で復元しますので、文化庁、文化財建造物保存技術協会などが設計に関与してこられます。このため、私たちのような城郭建築に素人である自治体担当者では話がなかなか進まず、城郭建築に詳しい民間の先生方に設計プロジェクトチームを作ってもらいました。これはおそらく初めての事例ではないでしょうか。

そこで、大洲市は建築基準法第3条(基準法適用の除外)と平成7年に完成した白石城の復元手法に倣い、法第38条(大臣認定取得)での復元可能性について愛媛県と協議を重ねてきました。協議の結果、大洲城の場合は法第3条の基準には適合しないとの県側の見解が示されたため、法第38条での復元を進めることになりました。従って、この時点では、史実通りではないが、階段は住宅用の緩いものする、スプリンクラーは付ける、窓を高くするなど、法にのっとって作り且つ運用することにしていました。

市民手作りの復元を目指すことから、復元工事費13億円の内5億円を市民の皆さんの寄付でまかない、使用する木材も出来る限り市内の山林保有者に寄附をお願いし、事業は順調に進んでいました。

しかし、復元手法の拠り所としていた法第38条(大臣認定取得)が、平成126月から建築基準法の改正(第38条削除)で適用できなくなりました。ここから大変な作業が始まりました。

先生方は当時の建設省と協議する中で、かつては法の枠内で復元できた白石城三階櫓は改正法の下では建築不可能であり、大洲城のような復元建物に対する新法は用意されていないことが判明しました。一方、このような歴史的建造物の復元は、大規模木造建物を作る技術の継承に不可欠であること、伝統文化としての工法である木造での復元に対する強い社会的要請があることなどが確認されました。

そこで、一度は結論が出された法第3条での復元について、再度建設省や愛媛県との協議に入りました。建設省は、地方の時代が叫ばれる中、愛媛県が判断されることに対し異論を唱えない、とのことで、愛媛県だけとの協議となりました。

県は当初、復元大洲城天守は法第313号が規定する「保存建築物」ではないとの見解で県との協議は長期にわたりました。この間、他の自治体での事例を収集したり、いろいろな分野の方々の支援を求めたりしました。途中、半分諦めて、法内でやるか、23階の床を張らずに木造2階建てにするIMG_2700.jpgか、窓は大きくするか、階段をゆるやかにするか、とも思いましたが、反面、そういうものを作っても意味がないじゃないか、との思いもありました。このような時、先生方が、「藏本君、よそでもできん、できんと言われていたが、皆できているじゃないか、頑張りましょう」と励まされ

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